言語を正規化する

正規とは・・・
規則などではっきりきまっていること。また、その規定。(大辞林第2版より)
システム化(プログラミング)するということは今まで手作業でやっていた作業を正規化してコンピュータに仕事をさせるための作業だ。ロボットの目指すところは人間の正規化であるわけだけど、その中で言語の正規化も必要になってくる。言語の正規化は身近なところではコンピュータの日本語変換システムが該当すると思う。
さて日本語変換システムは、単純な漢字変換(といったら怒られる。日本語の変換システムはおそらく他の言語に比べればもっとも難しい可能性があるから。)を経て、予測する世界に入ってきた。
それは、携帯電話などの小型ディバイスの発達に伴って、少ないキーの入力回数でもって日本語入力をする必要が出てきたからだ。あ、便利だと思う人もいれば、この機能が表現を制約しかねない非常に危険なツールだと思う人もいるだろう。
僕は一番最初に出版社に短いながら勤務していた。そこで国語編集部につとめていた先輩に日本語変換システム開発に必要な辞書のデータベースの提供をもとめてきた有名なコンピュータメーカとの打ち合わせに同席してもらったんですが、その会議のあとにぼやいた一言が印象的だった。”言語は生きているのにそれをひとくくりの変換システムに押し込めてしまうなんて。。。”
たしかに言語は生きている。新しい単語もできてくれば新しい言葉の使い方も生まれてくる。僕は詳しくは分からないが、これが正しくて、これが間違っているということはなくて、僕たちが今まさに話している言葉が正しいわけで、それを正規化してしまうということは、その表現の自由が奪われてしまうというわけだ。つまり、新しい日本語が生まれにくくなる。
もちろん誤った日本語の使い方だから制約してしまっても問題ないという考え方もあるだろう。でも誤用がそのまま辞書に載るようになることも長い歴史の中では多いわけだ。だから言葉は難しいのかもしれない。
話はそれてしまったが、システム化するときにエンジニアはこのようなことに注意しなければならない。一つの向きから見てこれは便利だと思ったことをシステム化する事はとても得意だ。この発想がなければエンジニアの仕事は楽しくないはず。ただ、反対向きから見て本当に便利なのかについても考えてもいいだろう。
そんなことは作ってから評価される段階において評論家にでも任せればいいと思うかもしれないが、作りっぱなしのシステムではなく使われるシステム作りを目指して僕たちはいろんな畑の人たちと積極的に話をして、価値観を共有して一つの物事を様々なアプローチから考えることができるようにならなければならないと思う。
今自分がやらなければならないことが手元になくて焦っていることがよくある。何かをやらなければ周りにおいてかれてしまうという恐怖心だ。または、こんなことをやっていて何の役に立つのだろうという疑問。
与えられた仕事をして時間に余裕ができるからそんなことを考える暇ができるのかもしれない。もし余裕ができたら恐怖心を捨てて話をしに行こうと思う。

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